小さなじゅもん

こたきくんとか、ゆうまくんとか

「後悔がまったくないと言ったらウソ」だと言う彼の言葉に救われてしまった

 

 

ジャニーズWESTの中にいて、いっしょに歌ってる夢を見ることがありますからね。でも、みんなで歌っているのに、僕が知らない曲で歌詞がわからない。"歌詞、わからへんな"って立ちつくしてしまう。そんな夢を見ることがあります。ただ、あったかもしれない未来を選ばなかったのは僕自身で。後悔がまったくないと言ったらウソですけど、結局正解はなかったと思ってて。(Myojo一万字インタビューより)

 

頭をガツンと殴られたみたいだった。それほどの衝撃だった。あれからこんなにも時は経ったのに、未だにそんな夢を見るのか、と。ああ、この人はほんとに馬鹿な人だなあと、そう思った。

 

とっくの昔に本人の中では折り合いがついていることだと思っていた。割り切れていることだと思っていた。けど、そうじゃなかった。まだそんな夢を見てしまうくらいには、その選択を取らなかったことを考えてしまうのだと。

 

その事実はわたしの胸を酷く痛めた。もうソロで活動し始めてから、何年の月日が流れただろう。ジャニーズWESTがデビューしてから、どれくらいの月日が経っただろう。それなのに、今でもそんな夢を見てしまうだなんて。

 

でも同時に、その事実にわたしは救われてしまったんだなあ。その事実に救われて、安心してる自分も同時にいる。もし優馬くんに後悔なんて全くないと、そう言われてしまっていたら、わたしはもう駄目だったかもしれないと思う。それはとても残酷なことなのかもしれないけれど、そう思ってくれてるところに、わたしはどこかで救われてしまったの。

勝手にね、もうずっと昔にあの頃の気持ちには折り合いをつけてるんだと思ってたから。だから、未練なんて持ってちゃいけないんだ、ってそう思ってた。確かにね、もう未練はないの。だからそっちを選んで欲しかっただなんてそんなことは思わない。けどね、もしその手を取ってくれていたら、その選択をしてくれていたら、ってそのことは、あの四年前の一万字を読んでから何度だって考えてしまうの。頭では理解していても、心が追いつかない。完全に折り合いをつけることなんて出来ない。きっとたぶん、それはこれからもそうなんだと思う。残りの人生でも、あと何回そう考えてしまうのかは分からない。

 

だから、今回の一万字インタビューで、本人だってまだ完全に折り合いをつけられてる訳じゃないんだ、割り切れてる訳じゃないんだってことを知れて、わたしは安心してしまった。まだそう思ってくれてるんだって。

だからこそばーか!って思ったけどね(笑)ただただ何も考えることなく、自分の気持ちだけに従って、その選択をしてくれていたら良かったのにって。だってあの頃の優馬くんを見てたら、そこが彼の一番大好きな場所で、大切な場所で、一番キラキラ輝ける場所だってことに気付かない訳がなかったから。もしかするとその選択をしていたら、彼自身を苦しめることになったかもしれないし、心無い言葉を浴びせられることもあったかもしれないし、誰かを傷付けることになったかもしれない。けどそれでも。自分の為に、選択をして欲しかったなあと今でも思う。それは何回も思ってる。もっと自分本位に何かを選んでくれてもよかったのにって。そしたら、周りからなんて言われようと、わたしはあなたをちゃんと守ったのにって。

だからほんとに馬鹿だなあって思う。優馬くんは本当に馬鹿な人だ。優しさは時に強さであり、弱さだ。大好きだったからこそ、大切に思ってたからこそ、その選択は出来なかった。出来るはずなんてなかった。でも、わたしからしたら、そんな優しさなんていらなかった。だってあんなにも大好きだったじゃんか、関西のみんなのこと。7WESTのこと。だったらただその気持ちだけに従ってくれたらよかったのにって。そうやって何かを選び取ったって、誰もあなたを責めたりはしなかったよって。少なくともわたしは、絶対に責めたりなんてしなかった。でもね、そんなところが愛おしいんだよなあ。そしてとてもとても愛おしいと思うからこそ、馬鹿だなあと思っちゃう。

 

これから先のオタク人生の中でも、きっと何度だって考えてしまうんだろうな。きっとそれは、優馬くん自身もそうなんだろうな。選ばなかったその先の未来のこと、考えては自問自答し続けるんだろうな。選べなかった未来があるのと、選ばなかった未来があるのと、どっちの方が残酷なんだろう。けど、その選択をしたのも同時に彼自身だから。

 

 

ゆうまくんに関しては思うところいっぱいあるし悔しいけどさーーーー、ゆうまくんが選んだ道だから仕方ないというかまあこれが現状だよなあって。グループじゃないってこういうことなんだよ、去年も思ったけど。

ゆうまくんが選んだ道ってそういうことなんだよ選ばされるみたいに選んだ道だったとしてもそれはゆうまくん自身が選んだ道だから、だからこそわたしはそこで戦ってほしいと思うんだよ酷かもしれないけどさあ。じゃないとあの選択が正しかったっていう証明にはならないじゃんか、、

まだあの選択をどこかで受け止めきれない自分がいるからそう思うのかもしれないけど、カウコンに出なくてもそれでもいいとはわたしは思わない。それが苦しくても酷でもゆうまくんにはそこで戦ってもらいたいんだなあわたしは。

 

 

これはわたしが2016-2017のカウコンが終わった後に呟いた言葉だ。カウコンには呼んでもらえた。けど、放送時間内に一曲も歌わせて貰うことは出来なかった。そのことに憤り、カウコンにはもう出なくたっていいんじゃないかと言う人も居た。

けどね、わたしは。 そんな風には1ミリも思わなかった。思えなかった。だってそれは仕方のないことだから。あれ程のジャニーズの出演者がいる中で、限られた時間内に一曲、たった一曲でも歌わせて貰うことはソロである優馬くんにとっては、とてもとても難しいことだ。ただ曲をリリースしているだけでは駄目だ。それが、それなりの結果を残していないと、きっと優馬くんに時間を割いてはもらえないだろう。

とても酷なことを言っているのは分かっている。けど、それが現実だから。そして、そうなることも覚悟の上で、彼はソロでの活動を選択したんだと、そう思っていたから。だから。そこで戦って欲しいと思った。別の場所じゃなくて、ジャニーズのアイドルとして、ソロの活動を選んだのだとしたら、そこで、その場所で戦って貰わないと意味がない。だってそうじゃなきゃ、あの時の選択を正解に出来ない。それが正しかったんだっていう証明には、ならない。わたしは優馬くんが、自分のしてきた選択を正解に出来る人だと、正しいものに変えられる人だと、そう知っているから。だから。

 

僕はこっちの道を自分で選んだ。(中略)選択したのは僕。この道を歩んだことを、胸を張れるようになりたい。だから、こっちの道が正解だったってことを、これからの人生を賭けて証明しようと思います。(Myojo一万字インタビューより)

 

良かったって思った。誰のせいにする訳じゃない。自分で選んだ道だから、と。だから正解だったということを、これからの人生を賭けて証明しようとしてくれている。優馬くん自身もそう思ってくれていてくれたことを、とても嬉しく思った。きっとそれは、彼がその選択をしたことを全て受け入れきれている訳じゃなくて、割り切れている訳でもないからこその言葉だと思った。もし、後悔なんて全くない、一つもないとそう折り合いをつけていたらきっと、そんな風に思ってはくれなかっただろう。どこかで後悔や未練や割り切れない部分があるからこそ、そんな風に思ってくれているのだと。

 

オタクだけじゃない。そう思っているのはこちら側だけじゃない。優馬くんだって、迷いながら、悩みながら、時には後ろを振り返りながら、選ばなかったその先の未来のことを考えながら、それでもこっちが正しかったんだと証明するために、今をただ必死で戦っているんだと。その事実に、わたしは救われた。最低かもしれないけれど、救われてしまったんだ。

もしかすると、自分の選択に間違いなんてなかった、自分の選択は全て正解だった、だから後悔なんて一つもないと、そう言い切れる人の方が強くてかっこいいのかもしれない。けどわたしは優馬くんに、そうではない弱い部分も持ち合わせている人であって欲しかったの。

 

今わたしは一番近い距離でゆうまくんを見れてないなあって自覚があるし、だからこそ今ゆうまくんがどう思ってて何を感じてるのかが分からないからそれが悔しいんだけど、ゆうまくんはどう思ってるのかな〜〜〜〜悔しいとちょっとでも思ってくれてたらいいな。別にそうでもなければそれでいいんだけどw

 

これもカウコン後のわたしの言葉だ。もし悔しいっていうその気持ちが本人になかったらどうしようと、そう思っていた。でもそんなの杞憂だった。

 

現状にいちばんジレンマを感じているのは僕なんで。(Myojo一万字インタビュー)

 

優馬くんが今の状況に対して悔しいと、そう感じてくれる人で良かった。過去の選択に後悔なんて全くないと言わない人で良かった。それを今、このタイミングで本人の言葉で知ることが出来て、良かった。

 

ずっとどこかモヤモヤとしたものを感じていた。それは決して優馬くんのせいではないけれど、どうしても優馬くんに対するモチベーションが上がらなくて、 去年優馬くんの現場に足を運んだのはABKAIの一回のみだった。このまま少しずつ少しずつ他人になってしまうのかなあと思っていた先に決まったSHOCKの出演。「また立ちたい」と本人も望んでいた、こちらも望んでいたお仕事が決まった。ああ、これを機に2018年は優馬くんをもっと追い掛けたいなと思っていたらチケットが外れた。その後に決まったお仕事は外部での舞台だった。なんとなく使命感に駆られてチケットを取ったはいいけれど、これから先のことはSHOCK次第、SHOCKのその先のお仕事次第だなあと思っていたわたしには、とても酷な現実だった。

 

それでも。何とかご縁に恵まれてSHOCKの公演に入れることになった。そしたら一万字インタビューでずっと知りたかったことや欲しかった言葉を聞くことが出来た。ああ、このタイミングなんだなあと。わたしはこの人と一生縁を切ることは出来ない。この人のことをきっと一生他人には出来ないんだろうなと思った。そのことに気付かされてしまった。

 

ついてきてくれるあなたがいることがまた僕がキラキラに戻れる希望でもあるんです。(Myojo一万字インタビューより)

 

わたしは知っている。優馬くんが一番輝いているのはキラキラをしてる時だってこと。だから。あと何年かかるのか、それが明日なのか来年なのか五年後なのか分からないけれど。いつかまたキラキラのアイドルを出来る日のために、優馬くんの希望でありたい。だって優馬くんはいつだってわたしのことを救ってくれる人だから。

 

これから先もずっと、優馬くんの希望であり続けられますように。またあの場所で、優馬くんに会うことが出来ますように。

 

 

 

 

"神様"を見つけてしまったみたいだ

 

今だから言うけど私は今回のツアーは横アリしか入るつもりがなかったので、京セラを見届けて横アリを終えたら小瀧くんを降りようって思ってたし、そう決めてた。

別に他に応援したい子が出来た訳じゃなくて、小瀧くんのことどうでもいいやってなった訳でもなくて、でもなんかただ、もう降りた頃みたいな熱量にはならないだろうなって気付いてしまったし、もう小瀧くんは大丈夫だろうなって思ったから。担当として、その距離で小瀧くんのことを見ていなくても、大丈夫だって。きっと頑張って追い掛けなくても、私の知らない場所でも、もう心配することなんてないなあって。そういうところに行ってくれたなあって。

だから小瀧くんを降りて、これからは担当云々関係なく自分が行きたいと思う現場に行くスタンスでジャニオタやってこうって思ってた。オタク自体は辞められないけど、もう小瀧担としているのは辞めようって。

 

でもね、京セラで半年振りくらいに現場で小瀧くんを見たらね、ずるいけど、ほんとにずるいんだけど、まだ辞められないなあ、辞めたくないなあって思ってしまって。現場がない期間、小瀧くんのこと降りようって考えてた時は、きっとそれでもどっかで小瀧くんのことずっと好きでいたいって思ってた。自分でもそう思ってることに気付いてた。でもずっと好きでいたいっていうのは、ずっと好きでいるっていうのとはたぶん違くて、好きでいたいから好きでいるみたいなのが、どこかで嫌だったんだなあ、私は。でもね、京セラで小瀧くんの顔見たら、あ、私好きじゃんって。小瀧くんのこと好きでいたかったんじゃなくて、好きだったんだって。そういう自分に気付いた。だからまだ降りないって決めた。まだ私の中にちゃんと小瀧くんはいるんだなあって思った。

 

現場に行くと、ステージに立つ小瀧くんを見ていると、小瀧くんが優しい人だってことにいつも気付かされる。優しい笑顔で客席に手を振る姿やバンバンで撃ち抜かれる姿や笑みを浮かべながらペンライトの光を眺めているのを見ていると。京セラドームの、横アリのスタンドよりも、城ホの最後列よりもずっとずっと遠い場所から小瀧くんを見ていて、小瀧くんは優しい人だなあってことにやっぱり気付いてしまった。それがとっても嬉しくてとっても苦しかった。

小瀧くんは愛され上手だってよく言われるよね。でもね、小瀧くんがみんなから愛されてるのは、小瀧くんがそれ以上にみんなのこと大切に思ってるからなんだって、愛してるからなんだって私は思ってる。そういう人だってことをみんな分かってるから、みんな小瀧くんのこと愛してくれてるんだって。だって小瀧くんはきっと、優しくしてくれるから優しくするんじゃなくて、大切にしてくれるから大切にするんじゃなくて、愛してくれるから愛するんじゃなくて、例えそうじゃなかったとしても大切にしてくれて、優しくしてくれて、愛してくれる人だから。そういう小瀧くんに私はいつも気付いてしまう。そういう彼に気付いてしまうことが時にとっても苦しくて残酷だなあって思う。小瀧くんが優しくなかったらよかったのに、ってたまに思う。でもそういうところが、私が小瀧くんに一番に変わらずにいて欲しい部分でもあるのかもしれないなあ。

 

私は天邪鬼だから、小瀧くんが駄目ならムカつくし腹立つし、でもそうじゃなくなってしまったら寂しいな、つまんないな、物足りないなって思っちゃう。小瀧くんが必要以上に批判されたりしてるの見ると腹立てる癖に、あんまりに褒められすぎてるの見ると今度はそんなでもないだろって思っちゃう。めんどくさいね。

だからね、ほんとはどこかでもう心配することがなくなってしまったことが寂しい。ほんとはどこかで、もっとずっと駄目でいてくれたら良かったのにって、そう思ってる。ずるいけど。もっと駄目なところも見ていたかった、もっとくすぶってるところも見ていたかった。たぶんそう思ってる。でもそういう彼にはもう会えないんだろうなってことも京セラで確信してしまった。きっと小瀧くんは小瀧くんにとっての"神様"を見つけてしまったんだと思う。それは私が願っていたことだけれど、でもやっぱりどこかで寂しかった。まだ"神様"は見つけないままでいて欲しかった。

 

でもね、それで良かったんだと思う。そしてそれでも大丈夫だって思う。だって彼は忘れない人だから。忘れずにいてくれる人だから。そのことも確信したから。

小瀧くんが大好きだった7WESTのことも、7WESTを大好きに思ってたことも、大切に思ってた人達のことも、素敵な出会いをしたことも、悲しいお別れをしたことも、ジャニーズWESTでデビュー出来たことも、初めて単独でコンサートをしたことも、初めてアリーナツアーをしたことも、初めて主演の舞台に立ったことも、初めて京セラドームのステージからの景色を見れたことも、松竹座からの景色も、日生劇場からの景色も。きっと全部忘れない人なんだと思う。忘れずにいてくれる人なんだと思う。だからきっと大丈夫だ。

 

小瀧くんは小瀧くんにとっての"神様"を見つけてしまった。もう"神様"を見つける前の小瀧くんじゃ、いられない。けどね、小瀧くんは変わっていく中でも、変わらずにいてくれる人だって知ってるから。だからこれからも私に応援させて欲しいです。

 

たぶんもう前みたいな気持ちにはなれないんだと思う。けどそれは小瀧くんが次の扉の向こう側に行ってくれたからだね。だからね、私にこれからもずっと好きでいさせてね。それでも好きだって気付けたからこそ今はずっと好きで居たいって思ってるよ。

 

小瀧くんは私なんかよりもきっとずっとジャニーズWESTのことを大好きだって思ってる人だ。大切に思ってる人だ。小瀧くんのこと見てると、私なんて全然ジャニーズWESTのこと好きじゃないのかもって思うし、実際そうなのかもしれない。けどね、何回でも言うけど、小瀧くんがジャニーズWESTのことを大好きで大好きで堪らなくて、すっごくすっごく大切に思ってることが分かるときに、小瀧くん越しに見えるジャニーズWESTがずっとずっと素敵に見えるから。だからその景色をまだ私に見させてね。

 

 

 

 

小瀧くんの"神様"

 

気付けばMORSEの初日から1年。そしてわたしも約1年間ブログを更新していなかったということに気付いた。久々に言葉にしたくて、過去の自分のブログを読み返してみた。

 

 

"自力で見つけてね、神様"

 

 

スピッツの運命の人の「自力で見つけよう 神様」という歌詞がわたしは好きだ。そしてこれを受けてわたしがパリピポ期間中に小瀧くんに送ったのが、「自力で見つけてね、神様」という言葉だった。

 

小瀧くんには自分自身で自分の"神様"を見つけて欲しかった。手に入れて欲しかった。誰かに与えられた"神様"じゃなくて、自分の手で見つけて欲しかった。小瀧くんの中の絶対の人やものや何かは小瀧くん自身で見つけてもらわなきゃ、手に入れてもらわなきゃ意味がないって思ってたから。小瀧くんの中の絶対を小瀧くんの中の"神様"にしてほしかった。誰か他の人基準じゃなくて、小瀧くんが"神様"だと思うからという理由で。

 

例えばそれが他の人にとっては"神様"じゃなくて、他の人からしたら"神様"だとは思えないものだとしたって、小瀧くんがそれを"神様"としたのだとしたらそれはきっと小瀧くんにとっての"神様"なんだよ。

 

小瀧くんの中の絶対は見つかったかな。小瀧くんの"神様"は見つかったかな。きっと小瀧くんなら自分自身で手繰り寄せられるって思ってたから、信じてたから、そして今でもずっと信じてるから。

 

 

 

"自力で見つけてね、神様"

 

 

 

ただもう一度この言葉を送りたかっただけです。

 

 

LET THE RIGHT ONE IN ※ネタバレあり

 
 
11月13日の初日公演からあっという間に東京公演千秋楽が終わり、MORSEのグローブ座での公演がついに終わりを告げてしまいました。
私にとってのMORSEは、素敵なご縁にも恵まれ、気付けばあれよあれよとチケットが増え、最終的には7公演を観劇しました。
 
 
さて、私なりのMORSEの解釈をザッとまとめさせてもらいます。とはいえ、私は原作も読んでいなければ、映画も見ていませんので見当違いなこともあるかと。その点は悪しからず。
 
 
 
 
  • 冒頭の「何見てんだよ、豚!」
アクリル板に囲まれた箱の中で、オスカーはSOSのモールス信号を送ります。そして彼は叫ぶんです、「何見てんだよ、豚!」と。
きっと冒頭のこのシーンは、オスカーの状況を表しているんだと思います。八方塞がりで、逃げ場のない閉塞感。外からの声(ママの声)は聴こえるのに、彼のSOSは、心の叫びは、誰にも届かない。そしてオスカーはその状況に対して無抵抗だし、無力。それを表しているのが、彼の裸の姿なのではないか、と。
 
 
  • お菓子屋さんでの万引き

オスカーはヨンニとミッケからひどいイジメを受けた後、お菓子屋さんに行き、万引きをします。お菓子屋さんのおじさんは、それに気付いていないのか、それとも気付いていないフリをしてくれているのか、オスカーに心配する言葉をかけるのです。「大丈夫か?」「うん」このオスカーの返事がなんとも言えない程に切ない。本当は大丈夫なはずなんてない。それなのに彼は、誰にも助けを求めることができない。その代わりに彼は万引きをする。もしかすると、どうすることも出来ない今の状況に対する精一杯の抵抗の仕方が、オスカーにとっては万引きだったのかもしれません。

 
  • 「ぼくのともだちになってくれない?」
ポスターにも載っていたこの言葉。MORSEのキャッチコピー。しかし、舞台中にこの台詞は出てきません。何故なら彼がこの言葉を言う前に、エリにこう宣言されてしまうからです。「あなたとは友達になれない」と。そしてオスカーはこう言います。「僕が君と友達になりたいと思ったの?バカだね」そんなこと、思っているはずはない。オスカーが最初にエリに「やあ!」と声を掛けた時に、オスカーはきっと、エリに友達になって欲しいと思ったはずなんです。「ぼくのともだちになってくれない?」だけど、エリに友達になれないと先に宣言されてしまったことで、オスカーの想いは、またしても彼の内に秘められてしまったのです。
 
 
  • 砂場での陰湿ないじめ

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先に言っておきます。わたしはここのシーンが嫌いです、大嫌いです。だって、しんどい。どうしようもなくしんどくなってしまうから。観た後になんとなく残る後味の悪さの理由の一つに、ここのシーンのいじめが挙げられると思います。「お前は自分で自分の状況を悪くしてるよ!」「わかってるよ!」ミッケのこの言葉には、どんな意図があるのか。兎にも角にも、ここのシーンは本当に大嫌いです。
 
 
  • 「明日もきっとここに来る。いい匂いになって、来る」

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ヨンニらにいじめられた後にやって来たいつもの公園。そこにはエリがいました。「なんでいるの?」「一人になりたくて来たのに」「じゃあお互い一人でいよう」それなのに、エリはオスカーが持っていたルービックキューブに興味を示し、オスカーに話し掛けます。「それなに?」「一人になりたいんじゃなかったの?」「なりたいよ。ただそれが何か知りたい!」「じゃあ教えたらもう話し掛けない?」「そうして欲しいなら」「ルービックキューブ」「なに?」「だから!ルービックキューブ!」「ルービックキューブってなに?」「何かは教えたでしょ!」「ここまでがひとつの質問」ここのオスカーとエリのやり取り、最強にかわいいですよね!大好きです。きっとエリは、ルービックキューブに興味を示した訳ではないんだと思うんです。きっとそれは口実の1つで、ただオスカーに近づきたかっただけ。もしかするとエリはもうこの時点でホーカンとの関係に見切りをつけていたのかもしれません。既に次なる"ホーカン"を探し始めていたのかも?そしてエリは別れ際に「明日もきっとここに来る。いい匂いになって、来る」という言葉を残し、公園を去っていくのです。
 
 
  • 「もうそれだけじゃ駄目なのかもしれない」

「愛してるんだ」と言ったホーカンに対してエリが放った言葉です。やはり、エリはもうホーカンとの時間がそれほど長くないということに気付いています。このままではいられないということを、エリは勘付いているのです。ホーカンにとっては残酷なことかもしれませんが。

 

 

  • オスカーとエリの約束

エリは何故だか約束が嫌いです。「嘘ついてないって約束できる?」「約束は嫌い」「約束できる?」「わかった、約束する。シールは貼り直してない。約束する」そんなエリがオスカーと交わした約束。「それでもやられたら?」「そしたら助けに行く。」「助けに行くから。約束する」どこまでがエリの打算?もしかするとオスカーと約束を交わしたのも彼女の打算?そしてオスカーはモールス信号の載ったノートをエリに手渡します。エリと公園で会う前に、とても愛おしそうにノートを見つめているのがとても印象的ですよね。かわいい。「ー・ーーー ーー・」「そう、エリ。君の名前だ」

 

 

  • 「もし女の子じゃないって分かっても好きでいてくれる?」

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「オスカー、好き?」「うん、好きだと思う」「もし女の子じゃないって分かっても、好きでいてくれる?「どういう意味?」「そのまま。もし女の子じゃないって分かっても、好きでいてくれる?」「うん、好きなんじゃないかなあ」「ほんと?」「どうしてそんなこと聞くの?」「聞きたかっただけ」この「女の子じゃないって分かっても」というエリの言葉が、オスカーを混乱させることになりますよね。そしてオスカーはアヴィラ先生に尋ねる。「自分が恋をしていると思う時は、どんな時ですか?」「人によると思うが、その人とずっと一緒にいたいと思った時じゃないかな?」「それはつまり、その人なしでは生きていけないと思うってことですか?」「じゃあ・・・もし恋した相手が女の子じゃなかったら?」

 

 

  • 「何者でもない」「自分は自分でしかない」

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 「女の子じゃない」という言葉を聞いて、オスカーが持ち合わせた答えはひとつだけでした。女の子じゃない=本当は男の子であるということ。だけどエリはそうではないと言う。「君がもし男の子でも構わない」「男の子じゃないよ」「えっ?でも女の子じゃないんでしょ?」「何者でもない。」「自分は自分でしかない」この時点ではまだ、オスカーはエリをアレだとは気づいていません。だからこそエリのその言葉に困惑するオスカー。だけどオスカーはもうエリに恋をしてしまっている。「今日、いやなもの見ちゃったんだ。」「その時思ったんだ。君が一緒にいてくれたらって」アヴィラ先生に教わったこと。その人と一緒にいたいと思うことが恋をするということ。「エリ、僕と付き合ってくれる?」「僕と一緒にいてくれるかってことだよ」「僕と付き合うの!付き合わないの!」この時のオスカーはエリと付き合うということが何を意味しているのかまだ分かっていません。永遠に分からないままの方が幸せだったのかもしれませんが。

 

 

  • 「オスカー?入っていい?入っていいって言って?」

それにしても、エリは悪い女です。ホーカンがエリのために硫酸を被ったその夜に、オスカーの部屋へ向かうのですから。そして自分を招いてくれるように請う。ホーカンにとっては残酷なことです。でもきっとそれがエリの生き方で、きっと彼女はこれからもそうして生きていくことしか出来ないのです。

 

 

  • 血の契り

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オスカーはエリと血の契りを交わそうとします。「僕と契約を結びたい?」「勇敢なナイトの契約なら、なんでも」。私は最初、何故オスカーがこんなことをしようとしたのか、分かりませんでした。オスカーの純粋さ故の残酷さなのか、なんなのか。しかし観劇を重ねていくうちに、ある一つの考えが浮かんできます。もしかするとオスカーはエリの気持ちを確かめようとしたのではないか?と。確かめようとしたというよりは、試そうとしたと言った方が近いかもしれません。きっとオスカーは、ママから正しい愛情を受けてこなかったから。それの正しい確かめ方が分からなかったんだと思います。ママを演じる高橋さんもパンフレットで、「母の歪んだ愛が、息子をやはり歪んだ方向に向かわせる」とおっしゃっています。歪んだ方向に向かってしまった結果、血の契りという、ある意味で歪んだやり方でしかエリの気持ちを確かめることができなかったのではないでしょうか。

 

 

  • 「もっと早く助けに来てくれればよかったんだ!もっと早く!」

誤ってヨンニの耳に怪我を負わせてしまったオスカーが叫ぶ台詞です。本当にその通りだと思います。こんな風に、オスカーが心の声を言葉にする前に、誰かが彼のSOSに気付き、彼を救ってあげるべきだった。もう手遅れだったけれど。

 

 

  • 「ママは正しいことを教えてくれない!」

ママが正しいことを教えてくれなかったということも、オスカーを最後の決断に向かわせた要因の一つだと思うんですよね。ママはオスカーにいい子でいてほしいと思う割には、オスカーにそれがどういうことかを教えてはくれない。「あんたにはがっかりだよ!」「ママは正しいことを教えてくれない!」「また呑んでる」「呑んで何が悪い?!」「このクソ女!」もしかするとママから見たオスカーの姿は、ただの幻想だったのかもしれませんね。

 

 

  • 「ぼくは将来どんなタイプの人間になると思う?」

オスカーはきっと、ヨンニに仕返しをしたことで、自分が乱暴で残酷な部分を持ち合わせているということに気付いてしまったんだと思います。そしてオスカーはそんな自分がどこかで怖かった。自分で自分の凶暴な部分に恐怖を感じた。だからこそ、パパにこんな質問をしたんだと思うんです。「ねえパパ?パパは自分をどんなタイプの人間だと思う?僕は将来どんなタイプの人間になると思う?」

 

 

  • 「ならそいつらよりあなたの方が正常」「大丈夫、あなたは間違ってない」

きっとこの二つの台詞は、「ママは正しいことを教えてくれない!」というオスカーの台詞の対になる台詞だと思うんですよね。正しいということが何か教えてくれなかったママと、それを教えてくれたエリ。母親から受け取れなかったことを、エリからは受け取ることができる。だからこそ、オスカー⇔エリというよりはママ⇔エリという関係にあるのではないかと。

 

 

  • 「約束して。光を入れて、正しい世界を生きる」

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エリとの別れのシーン。「行ってほしくないよ!」「行きたくないよ!」「僕も一緒に行く!」エリに縋りつくオスカー。だけどエリは、オスカーにこう投げかけます。「約束して。光を入れて、正しい世界を生きる」「約束して。そして許して」。この「正しい世界『を』生きる」という台詞が味噌だと思うんです。「正しい世界『で』生きる」のでもなく、「正しい世界『に』生きる」のでもなく、「正しい世界『を』生きる」という台詞になった意味。なんだか私はそこが重要な気がして。その意味について、ずっと考えています。

 

 

  • 「僕にはもう、居場所がないんで」

この台詞がずっと頭を離れませんでした。エリをも失ってしまったオスカー。どうしようもなく悲しくて切ない台詞のはずなのに、表情も声色もその言葉と全然一致していなくて。それが余計に切なくて、悲しくて、苦しくて、初日からずっと頭を離れません。ずっとぐるぐると頭の中を回っています。

 

 

  • オスカーにとっての「正しい世界を生きる」ということ

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オスカーは絶体絶命の危機をエリに救ってもらいます。約束通りに。そしてプールから上がってきたオスカーがエリを見つめるその目は。完全に神を見つめる目です。恍惚としていて、確実に崇拝が混じってる。そんなオスカーの姿は、「私の神」とエリに縋りつくホーカンの姿と完全に重なります。エリはオスカーにとっての神となったのです。だから正しいという判断基準の全てはエリになった。「LET THE RIGHT ONE IN(正しい者を入れよ)」正しい者としてオスカーが受け入れたのは、エリでした。オスカーにとって「正しい世界を生きる」ということ=エリの道徳に従って生きていくということ。何故ならエリはオスカーにとっての神となったから。エリに助けてもらったオスカーは、エリという道徳と倫理を手に入れたから。

 

 

  • ラストシーンについて

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エリに助けてもらったオスカーは、エリと共に生きていく決意をします。ラストの着替えを見ながら私たちはそれを悟ります。私たちは何とも言えない気持ちでそれを見つめることしか出来ません。ただ、オスカーがエリを見つめる目が、エリがオスカーを見つめる目が、まっすぐで、熱くて、愛情に満ちていて。箱に入ったエリと共に電車に乗るオスカー。その電車が行く先はどこなのか。私たちにはわかりません。ただ、差し込む光をまっすぐと見つめるオスカーの目がとても印象的です。というのも、エリと別れた後の公園のシーンあるじゃないですか。あそこは劇中で一番照明が明るくて。きっとそこが、エリの言う「正しい世界」だったと思うんです。だけどオスカーはその光に対して眩しい、という反応をします。オスカーはもうその時点で、その世界では生きていけなかったんです。きっとオスカーにとって光となりうるものはエリだけだったから。エリと生きていくしかなかった。公園のシーンでは眩しいという反応をしたのに対し、ラストの光が差し込むシーンではまっすぐとその光を見つめている。その表情がとっても印象的なラストシーンです。

 

 

  • 「LET THE RIGHT ONE IN」という原題について

もうこの原題が!絶妙じゃないですか!正直舞台を見終わった後、映画の「ぼくのエリ 200歳の少女」という邦題を付けた人を殴りたくなりました(笑)「正しい者を入れよ」最後にオスカーが正しい者として受け入れたのはエリだったけれど、果たしてその選択が本当に正しかったのかどうか。エリは本当に正しい者だったのかどうか。含みを与えてこちらに解釈を委ねているところがたまらないですよね。英語ならではの表現なのかもしれませんが。とはいえ、結局オスカーにとって正しい者はエリだった、エリだけだった。オスカーにとってはただそれだけのことなんですけどね。

 

 

  • エリの入った箱

エリとオスカーの見えない壁や隔たりを可視的に表現したのが、この箱なのではないかと思うんです。どれだけ近付いても、どれだけ一緒の時間を過ごしても、そこには超えることのできない壁があり、隔たりがある。永遠に消えることのないオスカーとエリの隔たりが、箱の中にいるエリと、その外側にいるオスカーという表現で表されているのではないかと。

 

 

  • 劇中におけるモールス信号

題名が「MORSE」という割には、モールス信号を使うシーンはあまりないですよね(笑)私はもっと、モールス信号を用いることでオスカーとエリが仲を深めていく部分が描かれていると思っていたので、そこは正直最初拍子抜けでした。でも、このモールス信号が劇中で果たす役割は二つあると思うんです。

一つはモールス信号≒登場人物達のSOSの叫びなのではないかと。オスカーは冒頭のシーンで、SOSのモールス信号を送っていますが、きっとSOSを送っているのはオスカーだけじゃないと思うんです。エリも、ホーカンも、ママも、ヨンニも、ミッケも。きっとみんなSOSを誰かに送っていた。だけど誰にも気づいてもらえなかった。オスカーとエリ以外は。オスカーのSOSはエリに、エリのSOSはオスカーに届いた。モールス信号は「ちゃんと聴」かないと分からないものだから。「ちゃんと聴」こうとしなければ、それを受け取ることはできないから。それぞれのSOSはモールス信号のようなものだったのではないかと私は思います。

そして二つ目はオスカーとエリを繋ぐものとしての役割。先にも述べたように、オスカーとエリの間には、見えない壁が存在している。きっと永遠にその隔たりがなくなることはない。だけどその二人を繋ぐモールス信号。ラストで、箱の外と中から、お互いにモールス信号を送り合う二人。そしてそっと愛おしそうにその箱を、エリを撫でるオスカー。「-・--- --・」「・-・・・ ---・- ・-・・」モールス信号が永遠に二人を繋いでくれるよう、願わずにはいられません。

 

 

  • オスカーとホーカン

MORSEを見終わった後、オスカーとホーカンはパラレルに描かれているように感じてしまいますよね。ホーカンにとってエリは全てだったかもしれないけれど、エリにとってはそうではなかった。ホーカンと過ごした時間は、「長い間」生きてきたうちのほんの「少しの間」でしかないし、オスカーもエリがこれから生きていくうちの「少しの間」でしかないのかもしれない。だけど一つオスカーとホーカンに異なる点があるとすれば。オスカーにはモールス信号というエリと繋いでくれるものがある。見えない壁を、隔たりを超えられるモールス信号がある。だからきっと、オスカーはホーカンとは違う結末を迎えてくれると。私はそう信じています。

 

 

 

さて、死ぬ程長い文章となってしまいました。途中で脱落せずに最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございます(笑)長すぎて自分でも何を書いているか分からなくなりました(笑)時系列も一応気にして書いたつもりですが、もしかするとずれているところもあるかもしれませんし、見当違いな解釈もあったとは思いますが、そこは見逃してくだされば有り難いです。なんせ原作も読んでいなければ、映画も観ていないので(笑)

 

 

 

私にとってのMORSEは、残すところ千秋楽一公演のみとなってしまいましたが。

オスカーがした選択がどんな結末を迎えるのか、彼の決意が行く先はどこなのか、千秋楽でそれを見届けられればいいなと思っています。

 

 

最後の最後に小瀧くんへの想いをひとつ。

あなたは私の自慢の自担です!

 

 

どうか小瀧くんが最後まで無事にオスカーを演じきれますように。

 

 

 

 

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MORSE初日について今更ながら書き連ねる




MORSEの初日にお邪魔してきた。大分時間が空いたけれど、ちゃんと言葉にして残しておきたかったので、今更感しかないけれど、自分のために書き連ねることとする。


正直、初日の公演に入ることは半分諦めてた。手元にチケットはないし、探す気力も起きないし、入れなくても仕方ないかなって。だけど諦めきれなくて当日券にかけてみた。繋がらなかった。から諦めた。

だけど、フォロワーさんからまさかのお声掛けを頂いて入れることになって。その連絡がきてお譲り頂けることになってからは、なんかずっとソワソワしてて、落ち着いて座ってすらいられなくて。ほんとに始まっちゃうんだ、そこに私は立ち会えるんだなぁ、って。


MORSEのお仕事が決まった日のこと。うれしくてうれしくてどうしようもなかったこと。つい昨日のことみたいに思い出す。

ツイートを遡ってみたら、自分落ち着きなさすぎて笑った(笑)深夜三時頃まで眠れなくて、無理やり寝て、朝起きて夢だったらどうしようって思ったけど、夢じゃなくて。


パリピポで感じた違和感を早く拭いたくて、だから早く個人のお仕事が決まってほしいってことはずっと思ってて、それが外部舞台のお仕事だったらってことは何回も考えてた。

だから本当にそのお仕事が頂けることになって、うれしくてどうしようもなくて。だから、どうなってしまってもいいって思った。もしのぞむくんがボロボロになってズタズタになってしまうとしても、それでもよかった。苦しくてもがいてもがいてもがいてどうしようもない経験をしてくれたらって、そんなことをずっと考えてた。


そんな日からあっという間に3ヶ月が過ぎた。わたしの夏は、優馬くん一色だったから、それが落ち着いて、しばらくしてだんだんと雑誌の露出が増えて、いろんなのぞむくんの言葉を吸収して、MORSEが始まるんだっていう実感が湧いてきて。そしてその日はやってきた。


一日中ずっと色んなことを考えてた。「すごいプレッシャーだけど一カ月みっちり稽古してきたので自信がある」という言葉を読んで、泣きそうになった。緊張はしてたけど、不安や心配は一切なかった。

のぞむくんのことをずっと見てきた訳じゃない。だけど、不思議と確信はあった。漠然としてて、根拠なんか全くない。だけど大丈夫だってことだけは分かってた。


ものすごい緊張の中、その時はやってきた。きっと周りの小瀧担も一緒の気持ちだったと思う。ものすごい緊張感の中、幕が開いた。


1幕ののぞむくんはたぶん緊張してた。最初は自分が緊張してるのか、のぞむくんが緊張してるのか分からなかったけど(笑)でもたぶんものすごく緊張してた。だけど2幕が始まって、だんだんとのぞむくん自身が乗ってきて。そしてそのテンポに会場全体が飲まれていくのを感じた。

ラストのプールのシーンの前。洋服を脱ぎ始めたオスカーを見て、いよいよか、って思った。のぞむくんから緊張が伝わってきて。たぶん見つめる小瀧担の気持ちは全員一緒だった。みんな一緒に息を止めてオスカーを見つめてた。


初日の幕が降りた。カーテンコールで笑ったのぞむくんを見て、ポッケに手を突っ込んではけてくのぞむくんを見て、あ、のぞむくんだ!って思ったらなんだか急に安心して。無事に初日の幕が降りたんだなあ、って。


時々、なんで小瀧だったんだろうって考える。わたしはのぞむくんに担降りするまで、のぞむくんのこと小瀧って呼んでて、だから今でもたまに小瀧っていう目で見てしまう時がある。小瀧の顔は超好きだったし、超タイプだったし、かっこいいと思ってはいたけど、なんで小瀧だったんだろうって。でもたぶん私は小瀧じゃなきゃダメだった。のぞむくんじゃなきゃダメだった。そんな風に初日の公演を見て思ったりした。


正直ものすごくしんどい作品だと思う。観ているこっちですら、終わったあと残るものに潰れてしまいそうになる。のぞむくんもきっとこれから追い込まれて飲まれそうになるだろうし、もしかしたら稽古中にもそういったことがあったのかもしれない。幕間や休憩時間にもオスカーでいてほしいと求められていると知って、私の方がしんどくなったり。

だけどそんな時にこそすごいものを見せてくれるのがのぞむくんだと思うし、そこを乗り越えた先に待っているものに私はずっと期待してるから。


今からMORSEが終わってしまうその日を寂しくも思うし、早くオスカーを演じ切ったその先にいる小瀧望に会いたいとも思ってる。


またひとつ大きくなったのぞむくんに会えますように。




もしまたこの空の下で生まれ変わっても もう一度同じこの道を歩くだろう



帝劇の真ん中に、優馬くんが立っていた。
その場所が途轍もなく似合う人だなあと思った。思っていた通りだった。



最初に優馬くんがドリボをやると聞いた時、正直マジか、と思った。この夏は、ドリアン・グレイの肖像の主演という大きなお仕事が優馬くんを待っていた。そんな中、ドリボのリハをこなすなんて。だけど心配はなかった。色んな人が色んなことを言っていたけれど、それでも私は優馬くんを信じていた。もちろん体調の心配はしたけれど、こんな風な逆境の中でも全て乗り越えてきた人だから。不安になる理由が一つもなかった。

だから色々と騒ぎ立てる人達を見ても、ばーーーーーーーーか!!!!!!今に見てろよ!!!!!って気分だった。優馬くんが出来ないはずがない。今までだって、何度も何度も私達の想像を超えてきた人なんだもん。

まあ、でもほんとのことを言うと全員揃ってのお稽古が1日半しか出来ないっていうのは正直問題アリアリだと思うし、だからこそ色々言われてしまうのも仕方ないとは思ったけれど。その中でも最高のものを見せてくれるっていう確信が私の中ではあったんです。むしろ優馬くんを信じないっていう選択肢なんて私の中にはなくて。いつだって、どこだって、やってきた人なんだもん。私が好きになった優馬くんはそういう人。

そして、初日の幕間に流れてきたレポ。優馬のドリボがすごいことになってる。ドリボが泣ける。優馬は帝劇の0番に立つ人だ。全部全部、誇らしいものばかりで。正直ここまで絶賛されると思ってはいなかったけれど、私は本当に誇らしい気持ちだった。どや!!!!!!!!うちの優馬すごいだろ!!!!!!!!なめんなよ!!!!!!!!って。私はそんなレポの数々を読みながら、容易に想像が出来たんです。帝劇の真ん中に立つ優馬くんの姿が。分かる。絶対似合うもん。優馬くんはそこに立つべき人だってこと。これまで真剣に考えたことがあった訳じゃなかったけど、だけど漠然と、きっと、ずっと思っていたこと。優馬くんは帝劇の真ん中に立つべき人だって。

だけど、それが優馬くんにとって本当に幸せなことかどうかなんて分からない。帝劇に立てること、帝劇の0番に立てること、それが選ばれた人だけの特権だとして、そんな特権を与えられて帝劇に立つ自担の姿を見れること、帝劇の0番に立つ自担の姿を見れること、それが私達にとっては幸せなことだとして、本人たちにとって本当にそれが幸せなことだなんて限らない。もしかしたらその特権を与えられたことは時に残酷な運命であり、宿命であり、それが本人を苦しめているのかもしれない。だけどそれでも、ユウマは歌う。


もしまたこの空の下で生まれ変わっても
もう一度同じこの道を歩くだろう


なんて素敵な歌詞なんだろうと思った。大好きな人がくれるこの言葉は、私にとって最高に嬉しい言葉で。この歌を歌っているのはユウマだけれど、優馬。ユウマと優馬のこれまでの全てを重ね合わせてしまう。理不尽で身勝手な大人に振り回されてきたユウマ。残酷な運命に振り回されて、ユウマは叫ぶ。「何もかも引き受けてやろうじゃねぇか!!」ああ、これは優馬だ。様々な大人の事情と思惑に振り回されて、様々な場所に連れて行かれ、そこに立たされ、沢山の重荷を背負わされて。

私は優馬くんの何にも背負っていない姿を見たいってずっと思ってた。だけど結局、優馬くんには色んなことを背負わせてしまってた。優馬くんはきっと、色んなものを背負わせてしまいたくなる人。それはとっても残酷なことかもしれないけれど、だけど優馬くんは、これまでも、これからもきっとどんなことも引き受けてくれる人。引き受けるしかないから引き受けるんじゃなくて、引き受けようとしてくれる人だ。私は思った。ああ、もうここにはあの頃の優馬はいない、と。借り物みたいに連れて来られて、置物みたいにそこに立たされていた優馬はもういない。真っ直ぐに前を見据え、これまでの、そしてこれからの全てを引き受けていく覚悟の瞳をした優馬がそこには立っていた。そしてその優馬は歌うんです、同じ道を歩く、と。

わたしは何度だって考えてしまう。優馬くんにとって、この道を歩いてきたことは、本当に幸せなことだったのかって。もっと楽で幸せな道もあったんじゃないかって。優馬くんはずっと後悔はしていないかな、本当は違う道を選んでいたらって思うことだってあるのかなって。そうなのかもしれない。100%これまでの道が、今が幸せだとは言い切れないかもしれない。それでも同じ道を選んで、歩こうとしてくれている。こんなに幸せな言葉があるのだろうか。思い出したのは、ソロコンオーラスでの「ジャニーズに入ってよかった」という優馬くんの言葉。私はあの時、この言葉を宝物にしたいと思った。そしてあの言葉は私の宝物になった。そして今、大切な宝物がまた一つ増えた。「もしまたこの空の下で生まれ変わっても もう一度同じこの道を歩くだろう」というユウマであり優馬の言葉。そして、それを歌う優馬くんの姿。「僕には自信がある」と帝劇の真ん中に立って歌う優馬くんの姿。全部全部私の宝物にしたい。宝物にする。そして、いつだって最高の宝物を届けてくれる優馬くんが、私にとっては一番の宝物だ。



優馬くんは、帝劇の真ん中が似合う人だ。それが優馬くんにとって残酷なことだったとしても、私はまた優馬くんにそこに立って欲しい。また、帝劇0番に立つ優馬くんが見たい。

優馬くん、DREAM BOYSお疲れ様でした。
そして素敵な夏を、ありがとう。



If you can dream it, you can do it.




のぞむくん、19歳のお誕生日おめでとう。
まずはそこに立ってくれていること、いつも感謝しかないです。ありがとう。

19歳。まだまだ完全には大人として認めてもらえない年齢。許されないこともたくさんある。だから本当は早く大人になってほしい。信じているけれど、不安だから。だけどこの1年はきっと、のぞむくんにとってすごく大切で尊くて貴重な1年だから。そんなのぞむくんの19歳の成長をわたしはまっすぐに見守りたい。この1年を大切に過ごして欲しいなあ。


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ついこないだ高校を卒業したと思ってたのに。あっという間に19歳の誕生日が来て。本当にあっという間だなあ。私がのぞむくんに担降りしてからも、あっという間に半年が過ぎました。

本当は高校を卒業したらすぐに大きなお仕事が決まるのかなあ、決まってほしいなあって思ってたから、ちょっともどかしい。パリピポで見たのぞむくんが、何かに悩んで、迷って、苦しんでいるように見えたから余計に。

物怖じをしないところがのぞむくんのすごいところだって色んな人が言ってくれている。わたしもそう思うけど、そう思うと同時にのぞむくんのこと、変なところですごく臆病な人だなあってわたしは思ってる。そしてそれが肝心なところだったりするからもどかしい。そこで臆病になる必要ないのに、いつも呑気にお気楽なふりしてくれてればいいのにって。だから心配になる。みんなにたくさん愛されてる人なのに、彼自身もそれを分かってるはずなのに、どこかで愛されてるのか不安そうなところも。愛されてる人なのに、どこか愛に飢えているように見えるところも。心配でどうしようもなくて、愛おしくて仕方なくて。

ほんとは根拠のない自信で余裕ぶって見せてるくらいの方がのぞむくんらしいなあって思うし、安心。でも、もしのぞむくんが今自分に自信を持てないのだとしたら、それは自分の手で掴み取るしかないから。それが出来るお仕事が来たらいいなあ、と思います。


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と昨日ここまで書いていたら、飛び込んできた単独初主演舞台のお仕事が決まったというビッグニュース。ずっと望んでいた、一人でのお仕事。それも外部舞台のお仕事。望んでたものすぎて、最初はちょっと信じられなかったけど、流れてきた朝刊の記事を読んで、あ、ほんとなんだって。

きっといっぱい悩むんだろうなあ。迷うんだろうなあ。毎日同じ場所に通って、同じことを繰り返して、逃げ出してしまいたくもなるかもしれない。けど闘って欲しい。誰にも頼れない場所で悩んで、苦しんで、もがいて、もがいて、もがいてズタズタになりながら。きっとそんなのぞむくんは美しい。自分の手で何かを掴み取ってくれるって信じています。大きくなってね。


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めぇ魂で見たバンバンで外出を煽りながら走るのぞむくん。担降りを決めた団五郎で見たのぞむくん。祈るような気持ちで入ったパリピポ城ホで見たのぞむくん。

わたしはわたしの信じたのぞむくんを信じたい。信じてる。信じる。そしてこれからも信じたい。のぞむくんに対して変わってほしいって思ってる部分も、変わらなきゃいけないって思ってる部分も、変わって欲しくないって思ってる部分も。全部含めて今ののぞむくんだから。今ののぞむくんの全てが愛おしくて、大切。わたしはその全てを信じる。だから素敵な人になって。わたしが言えることはその一つだけです。のぞむくんがどんな自分になりたいと思っているのか、どんな自分になろうとしているのか、分からないからもどかしいけど、言葉にしてくれないからもどかしいけど、わたしは信じているから。変わらないのぞむくんが変わっていってくれるってこと。素敵な人になってくれるはずだってこと。


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のぞむくんが大切にしている大好きなあの言葉。わたしは単純だから、大好きな人が大切にしてる言葉はわたしも大切にしてしまうし、大好きな言葉は大好きになってしまう。

のぞむくんといっしょにのぞむくんが憧れてる景色を見たい。のぞむくんが憧れてる景色を掴む瞬間を共有したい。のぞむくんがその景色をその手で掴めますように。わたしがその場にいられますように。



If you can dream it, you can do it.



きっとキミならその景色を掴めるはず。
のぞむくんの19歳が素敵な一年になりますように。