LET THE RIGHT ONE IN ※ネタバレあり
- 冒頭の「何見てんだよ、豚!」
- お菓子屋さんでの万引き
オスカーはヨンニとミッケからひどいイジメを受けた後、お菓子屋さんに行き、万引きをします。お菓子屋さんのおじさんは、それに気付いていないのか、それとも気付いていないフリをしてくれているのか、オスカーに心配する言葉をかけるのです。「大丈夫か?」「うん」このオスカーの返事がなんとも言えない程に切ない。本当は大丈夫なはずなんてない。それなのに彼は、誰にも助けを求めることができない。その代わりに彼は万引きをする。もしかすると、どうすることも出来ない今の状況に対する精一杯の抵抗の仕方が、オスカーにとっては万引きだったのかもしれません。
- 「ぼくのともだちになってくれない?」
- 砂場での陰湿ないじめ
- 「明日もきっとここに来る。いい匂いになって、来る」
- 「もうそれだけじゃ駄目なのかもしれない」
「愛してるんだ」と言ったホーカンに対してエリが放った言葉です。やはり、エリはもうホーカンとの時間がそれほど長くないということに気付いています。このままではいられないということを、エリは勘付いているのです。ホーカンにとっては残酷なことかもしれませんが。
- オスカーとエリの約束
エリは何故だか約束が嫌いです。「嘘ついてないって約束できる?」「約束は嫌い」「約束できる?」「わかった、約束する。シールは貼り直してない。約束する」そんなエリがオスカーと交わした約束。「それでもやられたら?」「そしたら助けに行く。」「助けに行くから。約束する」どこまでがエリの打算?もしかするとオスカーと約束を交わしたのも彼女の打算?そしてオスカーはモールス信号の載ったノートをエリに手渡します。エリと公園で会う前に、とても愛おしそうにノートを見つめているのがとても印象的ですよね。かわいい。「ー・ーーー ーー・」「そう、エリ。君の名前だ」
- 「もし女の子じゃないって分かっても好きでいてくれる?」
「オスカー、好き?」「うん、好きだと思う」「もし女の子じゃないって分かっても、好きでいてくれる?「どういう意味?」「そのまま。もし女の子じゃないって分かっても、好きでいてくれる?」「うん、好きなんじゃないかなあ」「ほんと?」「どうしてそんなこと聞くの?」「聞きたかっただけ」この「女の子じゃないって分かっても」というエリの言葉が、オスカーを混乱させることになりますよね。そしてオスカーはアヴィラ先生に尋ねる。「自分が恋をしていると思う時は、どんな時ですか?」「人によると思うが、その人とずっと一緒にいたいと思った時じゃないかな?」「それはつまり、その人なしでは生きていけないと思うってことですか?」「じゃあ・・・もし恋した相手が女の子じゃなかったら?」
- 「何者でもない」「自分は自分でしかない」
「女の子じゃない」という言葉を聞いて、オスカーが持ち合わせた答えはひとつだけでした。女の子じゃない=本当は男の子であるということ。だけどエリはそうではないと言う。「君がもし男の子でも構わない」「男の子じゃないよ」「えっ?でも女の子じゃないんでしょ?」「何者でもない。」「自分は自分でしかない」この時点ではまだ、オスカーはエリをアレだとは気づいていません。だからこそエリのその言葉に困惑するオスカー。だけどオスカーはもうエリに恋をしてしまっている。「今日、いやなもの見ちゃったんだ。」「その時思ったんだ。君が一緒にいてくれたらって」アヴィラ先生に教わったこと。その人と一緒にいたいと思うことが恋をするということ。「エリ、僕と付き合ってくれる?」「僕と一緒にいてくれるかってことだよ」「僕と付き合うの!付き合わないの!」この時のオスカーはエリと付き合うということが何を意味しているのかまだ分かっていません。永遠に分からないままの方が幸せだったのかもしれませんが。
- 「オスカー?入っていい?入っていいって言って?」
それにしても、エリは悪い女です。ホーカンがエリのために硫酸を被ったその夜に、オスカーの部屋へ向かうのですから。そして自分を招いてくれるように請う。ホーカンにとっては残酷なことです。でもきっとそれがエリの生き方で、きっと彼女はこれからもそうして生きていくことしか出来ないのです。
- 血の契り
オスカーはエリと血の契りを交わそうとします。「僕と契約を結びたい?」「勇敢なナイトの契約なら、なんでも」。私は最初、何故オスカーがこんなことをしようとしたのか、分かりませんでした。オスカーの純粋さ故の残酷さなのか、なんなのか。しかし観劇を重ねていくうちに、ある一つの考えが浮かんできます。もしかするとオスカーはエリの気持ちを確かめようとしたのではないか?と。確かめようとしたというよりは、試そうとしたと言った方が近いかもしれません。きっとオスカーは、ママから正しい愛情を受けてこなかったから。それの正しい確かめ方が分からなかったんだと思います。ママを演じる高橋さんもパンフレットで、「母の歪んだ愛が、息子をやはり歪んだ方向に向かわせる」とおっしゃっています。歪んだ方向に向かってしまった結果、血の契りという、ある意味で歪んだやり方でしかエリの気持ちを確かめることができなかったのではないでしょうか。
- 「もっと早く助けに来てくれればよかったんだ!もっと早く!」
誤ってヨンニの耳に怪我を負わせてしまったオスカーが叫ぶ台詞です。本当にその通りだと思います。こんな風に、オスカーが心の声を言葉にする前に、誰かが彼のSOSに気付き、彼を救ってあげるべきだった。もう手遅れだったけれど。
- 「ママは正しいことを教えてくれない!」
ママが正しいことを教えてくれなかったということも、オスカーを最後の決断に向かわせた要因の一つだと思うんですよね。ママはオスカーにいい子でいてほしいと思う割には、オスカーにそれがどういうことかを教えてはくれない。「あんたにはがっかりだよ!」「ママは正しいことを教えてくれない!」「また呑んでる」「呑んで何が悪い?!」「このクソ女!」もしかするとママから見たオスカーの姿は、ただの幻想だったのかもしれませんね。
- 「ぼくは将来どんなタイプの人間になると思う?」
オスカーはきっと、ヨンニに仕返しをしたことで、自分が乱暴で残酷な部分を持ち合わせているということに気付いてしまったんだと思います。そしてオスカーはそんな自分がどこかで怖かった。自分で自分の凶暴な部分に恐怖を感じた。だからこそ、パパにこんな質問をしたんだと思うんです。「ねえパパ?パパは自分をどんなタイプの人間だと思う?僕は将来どんなタイプの人間になると思う?」
- 「ならそいつらよりあなたの方が正常」「大丈夫、あなたは間違ってない」
きっとこの二つの台詞は、「ママは正しいことを教えてくれない!」というオスカーの台詞の対になる台詞だと思うんですよね。正しいということが何か教えてくれなかったママと、それを教えてくれたエリ。母親から受け取れなかったことを、エリからは受け取ることができる。だからこそ、オスカー⇔エリというよりはママ⇔エリという関係にあるのではないかと。
- 「約束して。光を入れて、正しい世界を生きる」
エリとの別れのシーン。「行ってほしくないよ!」「行きたくないよ!」「僕も一緒に行く!」エリに縋りつくオスカー。だけどエリは、オスカーにこう投げかけます。「約束して。光を入れて、正しい世界を生きる」「約束して。そして許して」。この「正しい世界『を』生きる」という台詞が味噌だと思うんです。「正しい世界『で』生きる」のでもなく、「正しい世界『に』生きる」のでもなく、「正しい世界『を』生きる」という台詞になった意味。なんだか私はそこが重要な気がして。その意味について、ずっと考えています。
- 「僕にはもう、居場所がないんで」
この台詞がずっと頭を離れませんでした。エリをも失ってしまったオスカー。どうしようもなく悲しくて切ない台詞のはずなのに、表情も声色もその言葉と全然一致していなくて。それが余計に切なくて、悲しくて、苦しくて、初日からずっと頭を離れません。ずっとぐるぐると頭の中を回っています。
- オスカーにとっての「正しい世界を生きる」ということ
オスカーは絶体絶命の危機をエリに救ってもらいます。約束通りに。そしてプールから上がってきたオスカーがエリを見つめるその目は。完全に神を見つめる目です。恍惚としていて、確実に崇拝が混じってる。そんなオスカーの姿は、「私の神」とエリに縋りつくホーカンの姿と完全に重なります。エリはオスカーにとっての神となったのです。だから正しいという判断基準の全てはエリになった。「LET THE RIGHT ONE IN(正しい者を入れよ)」正しい者としてオスカーが受け入れたのは、エリでした。オスカーにとって「正しい世界を生きる」ということ=エリの道徳に従って生きていくということ。何故ならエリはオスカーにとっての神となったから。エリに助けてもらったオスカーは、エリという道徳と倫理を手に入れたから。
- ラストシーンについて
エリに助けてもらったオスカーは、エリと共に生きていく決意をします。ラストの着替えを見ながら私たちはそれを悟ります。私たちは何とも言えない気持ちでそれを見つめることしか出来ません。ただ、オスカーがエリを見つめる目が、エリがオスカーを見つめる目が、まっすぐで、熱くて、愛情に満ちていて。箱に入ったエリと共に電車に乗るオスカー。その電車が行く先はどこなのか。私たちにはわかりません。ただ、差し込む光をまっすぐと見つめるオスカーの目がとても印象的です。というのも、エリと別れた後の公園のシーンあるじゃないですか。あそこは劇中で一番照明が明るくて。きっとそこが、エリの言う「正しい世界」だったと思うんです。だけどオスカーはその光に対して眩しい、という反応をします。オスカーはもうその時点で、その世界では生きていけなかったんです。きっとオスカーにとって光となりうるものはエリだけだったから。エリと生きていくしかなかった。公園のシーンでは眩しいという反応をしたのに対し、ラストの光が差し込むシーンではまっすぐとその光を見つめている。その表情がとっても印象的なラストシーンです。
- 「LET THE RIGHT ONE IN」という原題について
もうこの原題が!絶妙じゃないですか!正直舞台を見終わった後、映画の「ぼくのエリ 200歳の少女」という邦題を付けた人を殴りたくなりました(笑)「正しい者を入れよ」最後にオスカーが正しい者として受け入れたのはエリだったけれど、果たしてその選択が本当に正しかったのかどうか。エリは本当に正しい者だったのかどうか。含みを与えてこちらに解釈を委ねているところがたまらないですよね。英語ならではの表現なのかもしれませんが。とはいえ、結局オスカーにとって正しい者はエリだった、エリだけだった。オスカーにとってはただそれだけのことなんですけどね。
- エリの入った箱
エリとオスカーの見えない壁や隔たりを可視的に表現したのが、この箱なのではないかと思うんです。どれだけ近付いても、どれだけ一緒の時間を過ごしても、そこには超えることのできない壁があり、隔たりがある。永遠に消えることのないオスカーとエリの隔たりが、箱の中にいるエリと、その外側にいるオスカーという表現で表されているのではないかと。
- 劇中におけるモールス信号
題名が「MORSE」という割には、モールス信号を使うシーンはあまりないですよね(笑)私はもっと、モールス信号を用いることでオスカーとエリが仲を深めていく部分が描かれていると思っていたので、そこは正直最初拍子抜けでした。でも、このモールス信号が劇中で果たす役割は二つあると思うんです。
一つはモールス信号≒登場人物達のSOSの叫びなのではないかと。オスカーは冒頭のシーンで、SOSのモールス信号を送っていますが、きっとSOSを送っているのはオスカーだけじゃないと思うんです。エリも、ホーカンも、ママも、ヨンニも、ミッケも。きっとみんなSOSを誰かに送っていた。だけど誰にも気づいてもらえなかった。オスカーとエリ以外は。オスカーのSOSはエリに、エリのSOSはオスカーに届いた。モールス信号は「ちゃんと聴」かないと分からないものだから。「ちゃんと聴」こうとしなければ、それを受け取ることはできないから。それぞれのSOSはモールス信号のようなものだったのではないかと私は思います。
そして二つ目はオスカーとエリを繋ぐものとしての役割。先にも述べたように、オスカーとエリの間には、見えない壁が存在している。きっと永遠にその隔たりがなくなることはない。だけどその二人を繋ぐモールス信号。ラストで、箱の外と中から、お互いにモールス信号を送り合う二人。そしてそっと愛おしそうにその箱を、エリを撫でるオスカー。「-・--- --・」「・-・・・ ---・- ・-・・」モールス信号が永遠に二人を繋いでくれるよう、願わずにはいられません。
- オスカーとホーカン
MORSEを見終わった後、オスカーとホーカンはパラレルに描かれているように感じてしまいますよね。ホーカンにとってエリは全てだったかもしれないけれど、エリにとってはそうではなかった。ホーカンと過ごした時間は、「長い間」生きてきたうちのほんの「少しの間」でしかないし、オスカーもエリがこれから生きていくうちの「少しの間」でしかないのかもしれない。だけど一つオスカーとホーカンに異なる点があるとすれば。オスカーにはモールス信号というエリと繋いでくれるものがある。見えない壁を、隔たりを超えられるモールス信号がある。だからきっと、オスカーはホーカンとは違う結末を迎えてくれると。私はそう信じています。
さて、死ぬ程長い文章となってしまいました。途中で脱落せずに最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございます(笑)長すぎて自分でも何を書いているか分からなくなりました(笑)時系列も一応気にして書いたつもりですが、もしかするとずれているところもあるかもしれませんし、見当違いな解釈もあったとは思いますが、そこは見逃してくだされば有り難いです。なんせ原作も読んでいなければ、映画も観ていないので(笑)
私にとってのMORSEは、残すところ千秋楽一公演のみとなってしまいましたが。
オスカーがした選択がどんな結末を迎えるのか、彼の決意が行く先はどこなのか、千秋楽でそれを見届けられればいいなと思っています。
最後の最後に小瀧くんへの想いをひとつ。
あなたは私の自慢の自担です!
どうか小瀧くんが最後まで無事にオスカーを演じきれますように。